1、エア・ポートにて



「切符ないと通れないんですよ此処」
「そういうものか?」
「そういうものです」
「カタいこと言うな。同じ血のよしみじゃろう黙って通せ」
「駄目ですよ。規則は規則ですから」

最後に見たときより僅かに大人びた邑姜はしかし相変わらず規律に厳しかった。やや女らしくなった身体に警備員服を纏っている。
「あなたは空間を自由に行き来できるんでしょう?だったらそれで行けば良いのでは?」怪訝な顔。
つるりと光る床をはじめ、白を基調とした広々とした空間は賑わっている。隣の改札ではやはり制服を着た張奎が迷子の少女の対処におろおろしていた。緑のふわふわしたツインテールを揺らす間延びした少女の。
「ローカルで行きたいのだよ。旅の途中というのを楽しみたいのだ。まだヒコーキとやらにも乗ったことないからのう」
「行きたいならちゃんと切符を買ってください。館長を呼びますよ?」
館長・・・誰のことなのかすぐに予想はついた。今にも怒り出しそうな、泣き出しそうなやつの顔を思い出す。 「あやつに会うわけにはいかぬよ。きっと止められてしまう」

「・・・・またどこかへ行くんですか」邑姜は眉をひそめた。行くな、と言いたいのだ。
「わしは一つの場所には留まれぬよ。流れてゆかなくてはならぬ。それが宿命というものだ」邑姜とてそんなことはとうに知っているはずだと思っていたのだが。
「誰もあなたを追い出しはしませんよ。逆にあなたがそこに居続けることを願うと思いますけれど。それでも?」
「それでもだ。邑姜。おぬしは聞き分けがいい子だろう?通しておくれ」
邑姜の瞳を見据える。羌の血。わしと同じ瞳をしていた。

コロカロと、キャスターを引きずる音。ツアー客を呼ぶガイドの呼び掛け。搭乗時刻が迫っていると報せるアナウンスの声。どれも見知った者の声だった。
はぁ、と邑姜は溜息をついた。口元に薄い色の口紅が光っている。
「わかりました。どこへでも自由に行って下さい。そのかわり、きっとまた戻ってきてくださいね」
「おう、必ず帰って来るよ。みんなもに宜しくな。旦那の面倒をちゃんと見るのだぞ」
「言われなくとも。」ふわりと形容するにふさわしく、微笑んだ邑姜は美しかった。


キャスター付きの旅行バッグを片手に、搭乗口へ急いだ。ガラスのドアを一直線に目指す。振り返ることはしない。外は晴れ渡っているようで、すがすがしいあおぞらが窓から覗いていた。もう何十回目かの旅立ちだった。小声でさらばとつぶやいて足を速める。大いなる空へ!いつかまた会う日まで。








2、ハッカ味の口内


俺っちのためだけの無人駅は真新しいベンチや新発売のものばっかりの自販機があって、なかなか住みやすいところだった。身体がないから無理に眠る必要がなくなって寝台も必要ない。時々隣駅のおやじや過去に戦った奴ら(陽森とか)と話したりするだけの退屈な日々。
『大ッ嫌い』
戦力として周軍に加わってからのことばっかり思い出してる。

過去に一度だけ、蝉玉のあのでかい目から涙がこぼれたのを見たことがある。唇ゴシゴシ拭きながら俺っちの方をにらみつけてた蝉玉。「大ッ嫌い」 何で俺っちあんなことしたんだっけか?「最低よ。あんたなんて、」無理矢理に触れた唇が柔らかかったのを覚えている。女特有の甘い匂いに毒されたのも。「あんたなんて、死んじゃえばいいんだわ」
もしかしたらあれは蝉玉が掛けた死の呪いだったのかもしれない、と今になって思う。俺っちの血が流れ出て全部なくなってしまうようにかけた深い深い闇の呪い。女というものは怒らすと恐いと、おやじはいつも言っていたから。

それでも、蝉玉、あーたの呪いで殺されたんなら、そう悪くない死に方だったかもしれないと俺は思えるのさ。
一度だけ交わしたキス。あんときはごめんな、蝉玉。どうか幸せに。






3、雨のち雨


、と言ったらやつの心が揺れるのがありありと見えた。言葉を濁しながら部屋の中をうろうろし始める楊ゼン。やあだなにいってんですかちょっと、と言いながら顔の赤い楊ゼンはへやに居合わせたさぼてんの棘をぶちぶち抜き始めた。いいやほんとだよそしてこらとげを抜くでないよ、それはそやつらの葉っぱなのだぞ。一気に言い切ったがしかし聞く耳を持たないらしく長い指は動きを止めない。いとあわれさぼてん、わしは手を伸ばして楊ゼンのその指をとった。長くてほっそりしてしゃっこい指はぎくりと機械的な動きで止まる。その温度とは正反対に顔はますますあかくなっていた。おもしろいのうとか思っていたら気が動転した楊ゼンはなんと近くにあった背もたれつきの硬い椅子(けっこう重い!)をひきずって勢いを付けたかとおもうとそれを投げた。楊ゼンがぶん投げた椅子はうまいこと遠心力を利用してがちゃんと派手な音を立て窓ガラスを粉砕する。えぇーーー!?楊ゼンは息を切らしてたたずんでいる。謎の沈黙が執務室を包んだ。
このままでは三十秒もしないで兵士か誰かが駆けつけるだろう。どう説明するか思案しているうちに楊ゼンは窓の穴をけやぶって広げ、そこから逃げた。何でわしがあんな事を言ったのか、その他色々の質問を聞かないまま、わしと最早全裸のさぼてんを置いてきぼりにして奴は脱走しおったわけだ。
楊ゼンはいつもひとりで盛り上がってはわしを置いていってしまう。本当はその事にわしが執着して少なからず傷ついていることを、あやつは知らぬまま駆けていく。「結局わしらはまじることなど出来ぬのかな」サボテンは返事をしてくれない。







4、桃色やがて白雪に


師叔はいつもに増してこたつから出たくないようだった。たまに顔を上げてくださったと思ったらぼんやりと部屋の壁を眺めてまたうつぶせる。今日もいつもと同じくたっぷりと仕事があるというのに、怠けるのもいいかげんにして!とあくまで心の隅っこで思いはするが口には出さない。出せない。
ここのところ師叔、遠くを見てばかりいる。
「桃まん、買ってきます」一言言って部屋を出たとき、さっきまで全然動かなかった師叔が振り返ってかるく笑んで行ってらっしゃいと言って下さった。僕は幸せをかみしめ、気持ちスキップしながら大ぶりな桃まんを二つ、マフラーを巻いた長いひげのおじいさんから買った。
扉を開けると、こたつは空っぽだった。師叔のいたところの布団がまくれたままになっている。とりあえず寒くてたまらないのでそのままこたつに入る。師叔の来るであろう所の向かい側に。太乙さまが造ったこたつは柔らかくて暖かかった。

僕が帰ってきてから10分たっても、師叔は帰ってこなかった。桃色をした二つの桃まんは少しづつ冷めてきていた。一人で食べようとは思わなかった。どこへ行ってしまったのだろう師叔。早く一緒に食べたいなぁ。そうしたら、周公旦くんに怒られないうちに仕事を片づけてしまいましょうよ。はやく。熱を手放してどんどん冷えてゆくピンクのまあるい桃まん・・・。


30分たっても師叔は帰ってこなかった。もしかしたら、僕が外に行っている間に急にやる気が出てきて、今ごろ一人で机に向かって頑張っているのかもしれない。僕の予想よりも周公旦くんの堪忍袋の緒が短かったとすれば、彼に首根っこ捕まれて無理矢理に執務しているかもしれない。ただ単にちょっとトイレに行っているのかも。
僕の優秀な頭脳が様々な可能性を挙げている。一番有り得そうな選択肢はどれかを考えながらも僕は体を動かそうとはしない。
師叔がこれを食べてくれなければ何も始まりはしないのだ。僕と一緒にこの桃まんを。

桃まんが冷え切ってしまっても、ついに楊ゼンは動かなかった。






5、流星群(仮)

星の多い夜だった。月こそ見えなかったが闇は細かに光り、我こそはと自己主張している。伏羲の意識はその中にかつて存在した故郷へと向けられていた。
見渡す限りの草の海原、青い匂いの真ん中で何を考えるでもなく、ただただ思い出す作業。空は広かった。

さくさくと草を踏みしめる音が近づいてきたのちにごろんと、懐かしい気配が隣に横たわった。星は相変わらず瞬いている。「教主様がこんな所にいていいのかのう?長が自ら規則を破ってどうする」言われた不良教主はくすりと笑った。「いいんです、教主だから何をしても」うわ言いおったこやつ、とわしはばれないように溜息をついた。と同時に、つま先の方から王天君がするすると出ていった。やってらんね、と身振りで言って。相変わらず楊ゼンは鈍感で気付きやしない。

「あなたに会いに来たんです」


「どうですか最近、何してるんですか」「まあな、普通だよ。そこらの邑に行って農民にちょっかい出すのが楽しくてのう」「おぬしは?」「大変ですよ。まだまだ争いが絶えませんからね。」「まあ僕にかかればそんなものすぐに治まるんですけどね」「おぬしも変わらんのう」「師叔だって。怠惰なとこそのまんまじゃないですか」「ハハ」
どうでもいい話をぐだぐだ続けた。二人とも空を見上げたままだったがそれでも話題は途切れることなく溢れて、わしらはずっと話した。久しぶりの太公望と楊ゼンの会話だった。

「あ」流れ星、楊ゼンが言い切る前に恒星はひゅんと滑り落ちていってしまう。ふいに、二人とも黙り込んだ。夜風が凪いでいる。辺りも静まりかえってしまってまるで二人きり宇宙に放り出されたような気分になった。無重力空間。この星はやっぱり青いようである。
「・・・一つ訊いても良いですか」意識が地球に引き戻される。楊ゼンの髪もまた青かったが別の色をしていた。なんだ、と返答した。今度は楊ゼンを見て。
「妲己のことをどう思っていますか」しばし沈黙。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ忘れられそうにはないな」
本音だった。
「そうですか」ふふ、笑って言う。あれからかなりの時が経っていた。


がさ、草の音がして、視界に見慣れたあの精悍な顔が入ってきて、キスをされた。
楊ゼンの長い髪の間から見えた空に、また星が流れた。 長い長いキスだった。


くやしいなと言う楊ゼンはそれでも微笑みを保っていた。 でもおぬしのことも忘れられなそうだよと言ったらちょっと驚いてちょっと赤くなってやっぱり笑った。




掌さま/一部お題お借りしました